ご挨拶

「川西」に住む人々に、
歯科治療を通して役に立ちたい 歯科医師 院長 三浦 和敏

院長紹介

三浦 和敏(みうら かずとし)
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院長 三浦 和敏

資格
  • 日本歯科医師会 会員
  • 兵庫県歯科医師会 会員
  • 川西市歯科医師会 会員
  • 大阪大学歯科医師臨床研修指導歯科医
  • 日本摂食嚥下リハビリテーション学会 認定士
略歴
  • 1999年大阪教育大学教育学部附属高等学校池田校舎 卒業
  • 2004年大阪大学歯学部 卒業
  • 2004年いぶき歯科医院勤務 副院長 院長を歴任
  • 2016年みうら歯科医院 開院

副院長紹介

三浦 悦(みうら えつ)
副院長 三浦 悦

略歴
  • 2004年大阪大学歯学部 卒業
  • 2004年大阪大学歯学部附属病院 保存科
  • 研修医、医員として勤務
  • 2007年やまだ歯科(宝塚市) 勤務
  • 2016年みうら歯科医院 開院

矯正医紹介

原口 誠自(はらぐち せいじ)
矯正医 原口 誠自

資格
  • 歯科医師
  • 大阪大学歯学部矯正科 臨床准教授
  • オルソブレインズ矯正歯科サービス 代表

院長プロフィール

【幼少期〜高校時代】野球小僧だった小学校時代、歯科医師という職業との出会い

私、院長の三浦和敏(ミウラカズトシ)は、1979年川西市清和台にて生まれました。大学時代の専門課程の時、吹田市で下宿していた4年間を除いては、ほぼ川西市に住んでいます。

小学校、中学校時代は、川西市清和台で過ごしました。
小学校2年生の時に、4歳上の兄の影響で野球を始めました。地元の少年野球チームに所属し、毎週末、練習と試合でした。
平日の放課後も、近所の公園でゴムボール・プラスチックバットで、よく野球をしていました。
小学6年生の1年間は受験勉強のために休みましたが、中学校に入学後は、何の迷いもなく野球部に入部し、3年間やり通しました。
高校時代は、大学受験に備えるため、十分に野球ができませんでした。 大学に入学したら野球部に入るぞ!という気持ちで勉強していました。

歯科との関わり、歯科医師という職業を認識したのは小学校時代でした。
永久歯の上の前歯がハの字に曲がっていたので(翼状捻転といいます)、かかりつけの歯科医からの紹介で、矯正治療を始めることになりました。大学時代まで通院することになるのですが、矯正治療をしていなければ、歯科医師という職業を意識することはなかったと思います。

【大学時代〜現在】大学時代、勤務医時代の経験、出会いはすべてが財産

大学時代は、大学全体の野球部か、歯学部の野球部、どちらに入部するか迷いましたが、他大学で野球をしていた兄と対戦することを目標に、歯学部の野球部に入部しました。 歯学部だけの野球部なので人数も少なく、1回生から試合に出ることができました。 1年に1回開催される、全国の歯学部野球部の大会(ALL DENTAL)の決勝戦で、兄と対戦できたことは、最高の思い出になっています。
部員同士の関係性も深いので、卒業後の交流も多く、一生のお付き合いができる先輩、仲間と出会うことができました。(大学同級生の妻とも出会いました…)

野球とは別に、大学の同級生ともたくさん遊びました。 アルバイトで稼いだ分は、そのまま旅行、温泉、スキー、飲み会に消えていきました。
6年間、学生生活を満喫しました。
さまざまな経験をし、多くの時間を共有した、かけがえのない仲間と出会うことができました。

卒業後は、早く、多くの臨床経験を積みたいと考え、大学病院ではなく、一般開業医に勤務することにしました。
就職先の候補となる歯科医院を数か所見学し、尼崎市 いぶき歯科医院にお世話になることに決めました。
院長 伊吹薫先生は、大学の先輩でもあり、口腔外科の専門医です。
いぶき歯科医院では、多くの先生が在籍され、毎日多くの患者さんが来院される医院です。
歴史もあり、地域に根付いた診療所で、自分が目指したいと思う先生の元で、修行させてもらうつもりで就職しました。
不器用で慎重な自分を、あたたく見守っていただき、様々な経験をさせてもらいました。
一般治療だけではなく、インプラント、訪問診療と、自分のやりたいことを、自由にさせてもらいました。
副院長、院長も経験させてもらい、スタッフの面接も任せてもらいました。多数のドクターが在籍していたことで、様々なやり方、考え方、治療方法を学ぶこともできました。
あまりに居心地がいいために、12年間お世話になりました。
開業前に、長期間同じ医院で勤務を続けるというドクターはかなり稀な存在だと思いますが、自分の行ってきた治療の経過、結果を5年、10年単位で、自分の目で確認することができる環境は、普通は開業しなければ経験できません。
すべての患者さん、治療に対して責任をもって取り組んできましたが、すべてがうまくいくわけではなく、いい結果ばかりではありません。
その現実をしっかり確認できたこと、すべてが非常に貴重な経験となっています。

なかでも、最後の4・5年間は、訪問治療に力を注ぎました。
摂食嚥下障害の患者さんに対する治療に携わることも多く、在宅、施設への訪問治療を積極的に行いました。
大阪大学歯学部額口腔機能治療部で研修し、アメリカでの内視鏡研修会にも参加させてもらい、日本での嚥下機能評価研修などにも積極的に参加しました。
まだまだ、知識を増やし、経験を積む必要がありますが、その分野では、日本を代表する先生方と一緒に仕事をすることができ、関わりをもてたことは、一生の財産です。
様々な疾患が原因となって食べることができなくなった方、食べることを禁止されたまま退院し在宅に帰ってこられた方、徐々に機能が低下し食べ物を受け付けなくなる方、色々な状態、環境の方の治療に携わり、いかに『人生の最期まで、安全に口から食べることをサポートできるか』を考えて取り組んできました。
その取り組みの中で、自分の目指す方向が見えてきました。

そして、生まれ育った川西市で、これまでの経験、学んできたことを実践したい、同じ歯科医師である妻と共に仕事をし、自分たちが理想とする医院を作っていきたいという気持ちが強くなり、開業を決意しました。